瓢箪(ひょうたん)から駒、晴天の霹靂(へきれき)的なことが・・・
ご来院の「テニス肘」の方の施術で、びっくりするようなことが起こった。
腕尺関節(肘)が痛くて伸びないとのこと。テニスが原因で出た痛みだった。
最近のQtopiaの施術は一風変わった施術をするようになってきている。
「おかしいよね」や「あり得ないよね」的な施術をし始めているのだ。
ではあるが「結果」は以前よりもしっかり出している。
常識的には、基礎医学、整形外科的な見方であれば、その関節の炎症で肘が伸びなくなっている・・・で終わるのだが、
結果的に言えば患部の腕尺関節(肘)に「一切施術せずに」痛みが軽減した。
・・・施術終了後に関節の動きや痛みのチェックをして、かなり楽になっていた。肘も「伸びていた」。当の患者さんもびっくりしていた。
へっ?あれ?みたいな感じで。正直言えば、もう医学の領域を超えてしまっている。
それもそのはず。関節の痛みを、その関節ではない場所(脳や内臓など)を施術して目的の痛みを軽減しているのだから。
痛みを出している場所とは違う場所を施術しているのに、その痛みが軽減したのだから驚かないわけはない。施術したのは紛れもなく院長の木内で、やり方を誰かに教わったわけでもない。私がその方を見て、施術に必要な場所が視えたのが、その人のそこだったと言えばよいかな?
ちなみに私はブログでも出てくるが、「みること」を4種類に使い分けている。
1.「見る」普通モードで見ること
2.「視る」凝視する、確認しながらみる
3.「診る」医学的な観点から見て判断をするとき。
私がしている、このような視方、診方は誰かに聞いて始めたわけではない。
ゴルフ肘、野球肘などで整形外科・スポーツトレーナーにみてもらっている方、接骨院通いをいつまで続ければ治るのかうんざりしている方、もう手遅れですと言われた方などに届けたい。最後の砦だと思って、当院の門を叩いてみて!
もう諦めないと・・・と焦っている方が劇的に変わる可能性を秘めている。
だって、テニス肘だったとして、「そこが原因でなかったら」、散々電気治療を当てても変わらないはず。
このような観点からみた時には、なかなか治らない理由はその関節の使い過ぎ(オーバーユース)「ではない」可能性が高い。
テニス肘に限らず今後このような症例数を増やしていこうと思う。
「みること」4種類の最後の4は・・・お楽しみでございます。
左曲がりの瞳
私は脳の影響もあり、頭、目がずれてまだ真っすぐにならない。以前はもっと酷かったのだが、それが順々に変わってきている。私は生まれてこの方、自分の瞳(ひとみ)をじっと見ることはなかった。しかし、最近になり、瞳の力が戻ってきていることに気が付いた。瞳は伝達できる場所として非常に大きなウエイトを占めるのではないかと感じる。
脳がおかしくなり、当時の私は「理解不能状態」に陥った。左右の目は斜視になり視点がどこを見ればいいのかわからなくなり施術の力も半減した。
それが回復とともに斜視はほぼ治り、理解度は増してきている。「瞳力」という言葉があればピンとくるかもしれない。見る・話す・聞く・触れる、とはまた別の「大事な伝達器官なのではないか?」と確信する。ラブソングには非常に多く用いられている「瞳」。恋愛などで気持ちを伝える手段として活用している方もだろう。
それが少しでも曲がると気持ちも理解も100%は伝わらない。恋愛に限らず、自分の思いを伝えるには、「その瞳に書いてある」や「そう語っている」、「そう言っている」など比喩表現をする方もいるぐらいだから、瞳はとても重要なのがよくわかる。
瞳に力が宿ってきたことは大変喜ばしいことだ。
常識を超えた先に見えたもの
たまたま・・・と言えばそうなのかもしれない。
でもそれにしては出来すぎた結果があった。
見方を少し変えてみるだけでこうも違うものか?の例。
後遺症がまだ残るうちは、私は「治療家であるが患者でもある」。
私の身体は「私にとって絶好の患者」であるという見方ができる。
その、患者である期間はいくらでも練習し放題なのだ。
しかも脳内出血がまだ完治していない患者さんなんて、施術家として研鑽を積んでもなかなか診られるものではない、というのが、最近の率直な自分自身と対話だ。
そうなんです。手技治療院(整体、カイロプラクティック、オステオパシーなど)は、脳出血、脳梗塞などの患者さんで私くらい重症な方で、それを主訴として治して欲しいという方は少ない。
しかも、私は治療家兼患者。稀有な存在だ。
そして自分の身体を自分で施術しているうちに、本当にいろんな変化がある。
例えばつい最近は、自分の右の首から側頭部が痛かった。さあ皆さんは、私が施術した場所はどこだったと思いますか?
正解は・・・左の股関節でした!! あり得ないし理解不能でしょう?
カイロプラクティックやオステオパシーのセミナーでも教えてくれないし、教本にも載っていない。理屈が通っていない。
一般常識を超えた考えは、一途に練習を繰り返すと、ある時に光が差すのかもしれない。
私はいつまで経ってもプロとは言わない。自分の力だと認めたくない。だからひたすら「身体に聴き」触れるのだ。
だってこれを全部教えてくれているのは「私の身体」なの。ということは、謙虚に聴いてヒントを教えていただき答えを導く。
これは、施術家に限ったことではない。共通するのは「謙虚」になり教えていただく
これは、子どもでも大人でも一緒だと思う。たとえ業界、職種は違っていたとしても。
オルゴンエネルギー
オルゴンエネルギー発生装置たるものがある。エネルギーを高めてくれるものとして、当院に取り入れたテラヘルツに次ぐ第二弾。
それは「オルゴナイト」である。
手にした感想として初めは「よくわからん」だったが、先日の遠隔施術中に、意思とは関係なく「涙」がこぼれた。
私はそんなに涙もろいとか感動しやすいなどは「ほぼなし」に等しいのだが。早朝の遠隔施術だったから眠かったり寝ぼけで起こったことなのかな?と思ったが、それも違う。
あるとしたら枕元に置いていたオルゴナイト。これだろう。
オルゴン(Orgone) は、精神医学者ヴィルヘルム・ライヒが発見したとする自然界に遍在・充満するエネルギーのこと。 オルガスムス(性的絶頂)からオルゴンと名づけられた。オルゴンは性エネルギー、生命エネルギーであるとされ、病気治療に有効であると考えられた。日本では東洋のいわゆる気のエネルギーと同じモノと考える者がいる。
(以上、引用終わり)
とのことだが、私の身体の変化が物語っている。
とても強いエネルギーであった。しかし不快さは全く無し。
ネットを見ればたくさんの「オルゴナイト」がある。
色、模様もいろいろだが、これも本人の身体との相性が大事だと思う。
テラヘルツは多くの方に相性がいいが、オルゴナイトは相性の影響が強いと思う。
合わないものは、変化はないかもしれないし、身体がどう変化するかはわかりません。
草刈りくん(^^)
私の日課は草刈りと掃除だが一度も「苦」を感じたことはない。ひたすら集中しながらやり、その最中に考えたこと、頭をよぎったことをブログに書いている。
その草刈りが施術と大きく関係している。
え?さっぱり・・・・?ですよね(笑)
草刈りしながら何を考えているのか・・・?
それは、鎌を握り、腰を落とし、力を抜き、腕の筋肉がいかに疲れないで、きれいに草を刈ることができるか?
両方とも(腕も腰)も問題なく出来ればOK。
切る草の種類、切るときの天候や湿り気などを頭に入れながらやると、思ったよりスピードが速く終わったり、刈り取る量が多く出来たりする。
草を刈るときの角度、草を抜く時の力の入れ方できれいにスポっと抜ける角度を見つける。
極々当たり前のことをやっているようだが、きれいに早く終わるために知恵を使っている。
単なる庭の手入れであるが、雑にこなすのと丁寧に考えながら進めるとこうも違うのだ。
これを身体の施術に応用する。患者さんとしては訴えることが済めば用は済むのかもしれないが、施術は状態を診ているし身体本来の機能に回復するまで、どういう順序でどこをピークに持っていき、どう乗り越えるか?終わり方をどのようにするか?などを組み立てる。
例えば内臓の施術の腸の場合、時間帯が朝か夜の施術でも違う。空腹時、食後でも違う。
腸のどの場所なのかでも違う、そこに病気があるのか?問題ないか?でも違う。
そんなことを日常生活の中で取り入れていると、普段の体調との違いに気が付きやすくなる。もしかしたら、大きな疾患の早期発見にも繋がったりするかもしれない。