サヴァン症候群
最近の生活で毎日が脳の変化のことで日に日に改善していることと、同時に脳の能力開花?が身体に起こっている。
たまたまなのか?この時代の影響なのか?
皆さんの中に聞いたことがある方はいるだろうか?「サヴァン症候群」という言葉。
アインシュタイン、エジソン、織田信長、野口英世・・・という偉人たちがこのカテゴリーに属するようだ。
私は恐れ多くてその中に自分が・・・?なんてことは1ミリも主張する気はないが、脳をおかしくしてから感じることや考える事柄から、その内容がこのサヴァン症候群と照らし合わせると「あれ?自分のことに、似てる。・・・」「なんかすごい理解できるわ!!」と鳥肌が立つように感じる。
とまぁ呆れる選択をしてしまったことなのだが、偉人と似ている部分としてはおそらく
自由診療とゴール設定
Qtopia癒療院は保険は効かない「自由診療」の施術院。
ご自身が問診票に書いた内容からどこをどうしたいかをお伝えいただき、初診時に方向性をお聞きする。
そしてどうなったか?「寛解」したか?の途中経過、そして終了となる。
途中で来院を辞めるのも自由。拘束はない。
初診時にある程度の計画を組み立て、施術からどのように身体が変化していくだろうかと計画を立てる。
そして、こちらが「見て、診て、視て」来院ペースを考える。もちろんご本人の考えがあってのことなので、ご相談の上決めていただく。
ただ、人生長いので、診てもらい事柄が主訴以外に出てきたり、その症状が落ち着いてしばらくして、また違う症状でいらしても、その都度お伝えいただければその時の身体に合った施術をします。
例えば、産後の赤ちゃんの時に診たお子さんが、成長に伴い不調が見られご来院されることもあります。
また、以前の施術から間が空いていても、いつでもご来院いただけるし、こちらとしてもいつでも歓迎です。
お困りのことが解消されたり、頼っていただけることはとてもありがたい。
お役に立ちたいし、お役に立てるよう日々研鑽している。
今まで通りにいかない生活・・・心掛けることは?
地球で暮らしている私たちは、今後どういうことに気をつけなくてはならないか?
こんなことをブログに書くことも予想外かもしれない。
ゲリラ豪雨、夏に気温40℃の生活、地震、
・・・天候変化やウイルスのこと、それに伴う仕事の変化など、予想外なことばかり起きていると感じている人も少なくないはず。
そう考えた時に、心構えとして「いつ」「何が」で起きても、「突然の変化」に対応できる「頭の柔らかさ」が大事なのではないかと思う。
なので、今後は「今までの常識」という古い考えを切り替え、随時変化があり、それに柔軟に対応する能力を求められる時代になるのかもしれない。
また、いつの時代でも、古きよき伝統の「大事な文化」と「能力」は残っていくだろう。
私のQtopia癒療院では、手技療法を主体にこのデジタル時代に生き残りを貫いている。
自分が脳をおかしくしたことをきっかけに、脳をもっと研究していくべきだと思っている。
ここ数年の自分の研究で医学では解明できていないことがまだまだあることが、よーくわかった。
私の実体験からの「寛解」は、日々の回復度合いが物語っている。
その寛解の最中に起こったことが 「透視」の能力だ。
「透視」は一昔前だとアニメ、漫画、ドラマなどの小学生~若者向けの番組に半ば冗談半分のネタ的要素の話だったと思う。
透視は紛れもなく私自身に起きたハプニング的能力開花だった。
透視は誰かに習ったわけでもないし、セミナーで学んだわけでもない。
以前にインドの大学(ワンネスユニバーシティ)に「悟りの講義」を受けに行ったが、そこで習ったわけでもない。
スピリチュアルな方が教えてくれたわけでもない。
透視に関しては、どこまで視えるかはまだまだ発展途上であり、毎日の脳の回復とともに発展に繋がっている。
つまり、「脳内出血後遺症からの回復」と「透視の能力開発」が同時進行することになったのだ。
ここ数日(令和3年現在)でさえ毎日が変化、変化、の日々を送っている。
自分の脳細胞をはじめとした細胞の代謝がすごすぎる。毎日の変化が楽しくてしょうがない。
この変化を、みなさまに還元していきたい。
似て非なる言葉・・・「勘と感覚」!
同じ場面に遭ったときにそれとなーく使ってしまっている方が多いことを載せようと思う。
「かん」
である。
それとなく使っているが、見えないはっきりしないもの(こと)を示している言葉だ。
「勘」「ピンときて!」「そう思って・・・」
「そういう「感覚」で・・・」
ようは「ごっちゃに」なっている人が多いということ。
言葉としても使い分けがあいまいになっている人もいるのではないだろうか。
「勘」は予想、多分こうだろうなど、今までの経験から分析することかもしれない。
「感覚」はその見えないもの、見えないことを感じることかもしれない。
感覚・勘と近いが、また別にあるものは「予感」。こちらも似て非なる言葉かなと思う。
私は施術の中で使っている感覚の中には、基本的には「勘」はない。
私は普段の会話の中にも「多分・・・」という言葉を知らぬ間に?使わないようにしているつもりだ。
施術中に「え?多分・・・」と言われると「ガクーン」となることもあるからだ。感覚的なことを相手にうまく使える方法として使っているのは「イメージ」表現かも。(木内さんから多分とか、勘でとか聞いたことある方がいたらごめんなさいね)
硬いを➡とても硬い簡単に折れ曲がらない をかったーい!にするだけでも伝わりやすくなるかもしれない。先の「ガクーン」もしかり。
多くの形容詞表現に「かったい」「がっつり」「ちっちゃ-い」「どっしり」などイメージが湧きやすい表現は口頭で使う傾向はあるし、より相手に伝わりやすいと考えて意識して使っている方が多いかもしれない。
話を戻すと、勘は意味がはっきりしていない感じがするが、「割と高確率なことで使う方が多い」
そして頭で思うことが多いと思う。
「感覚」は実際に感じたうえで次の行動に移すことに多い。
どうでしょう、なんとなく使っていたことと意識することの違い。よくよく考えると今後の行動がちょっと変わる方も?
今の状況から今後を考える
当院で施術をしていると、患者さんの願望、要求の質、来院される内容がここ数年のうちにガラッと変わってきたことがわかる。
腰痛や首などの「関節の痛みをとって欲しいレベル」だったものが
「寛解」するまで治して欲しいという具合に。
難しいパターンの方や「繰り返している方」(例えばぎっくり腰、寝違えなど)は何が原因なのか?
根本から治すには何を変更すべきなのか?を突き止め、
こちらとしても極力「結果を出す」ことに意識が変わってきている。
数回施術すれば楽になるぐらいのレベルの患者さんから、
病院で診断書が出るようなレベルの患者さんが増えてきている。
それは施術する側の「準備」が整ってきているからかもしれない。そうでなければそのレベルの方がこちらに安心して任せられないと感じるだろうし、信頼関係が築かれないからだ。
さらには、最近では遺伝子の研究をし始めている。
遺伝子に関しても私の感覚では西洋医学の診方とは異なる。
納得いかないわけではないし従いたくないわけでもない。
ただ、私は自然に身体を「見る・視る・診る」をした時に、一般的な西洋医学には違和感があり、その見方だから身体が治っていかないのかな?ということを感じるほどだ。
私は施術の中に、必要に応じて、今後遺伝子のチェックを導入していくことで、多くの方の遺伝子の問題が結果的に身体を守っていくことにも繋がっていくだろうと信じている。