芸術家の感性
芸術の秋。
先日、画家の瑛九さんの作品と谷内六郎さんの作品を観に横須賀美術館へ。
私が自分の仕事の中で体性の感覚の次に大事にしていることが「感性」である。
感性とは、人間の持つ知覚的な能力のひとつである。美や善などの評価判断に関する印象の内包的な 意味を知覚する能力と言える。これは非言語的、無意識的、直感的なものであり、人間に作用することもある。
「口に出すには表現が難しい」などである。三文字熟語・四文字熟語などでの表現になることもある。
瑛九さんの作品を観ながら奥深いものを多々感じる。多くの作品の中に「目」が使われている。
目から何を感じ、何を察しているのか?この時代背景に何があって、どう生き抜いてこられたか?
~まなざし~と表題にあったが、私は何を見てどう感じるか?
表現するというのは文章になることもあるが、瑛九さんは「絵」という表現方法で何を表しているか?心で何を思っているか?
瑛九さんの名前の由来について、親交の深かった画家の長谷川三郎さんがキュウという音が英語のQ「キュー」でおもしろいとのことで決まった、多数を表す「九」を使っているとか。キューピー(人形)[Q pi]のもじりとも。
奇しくも当院の名前はQtopia癒療院である。
私は施術院の命名時、マヨネーズのキューピーちゃんは意識はしていなかったが、頭文字に「Q」を使っていた商品や会社などは少なく、せいぜいマラソンの高橋尚子さんの「Qちゃん」が有名だったくらい。(ちなみに同い年(^^))
Qtopia癒療院というのは、木内は昔からの呼び名が「きゅーち」君だったり、「キューティーさん」などが多かったこと、仕事的には魔訶不思議な施術をすることなどからこのQの字は縁がある。今後も建設的にかつ面白い!ユニークに使っていきたいと思っている。
その瑛九さんがQはユニークなことからという。瑛九は永久もかけているみたいだ。それこそ「似た感性」を私は感じた。(偉人に失礼にあたらなければ。)
一方、谷口六郎さんを知ったのは私が脳の件で通院している治療院で飾ってある絵から。
六郎さんの多くの絵の題名に「音」を使っている。「雨だれシンフォニー」、水鳥の飛び立つ水鳥の「波紋の幻想」、「春の音」などは音を見て聞いて感じ、表現している。
最近は休みに博物館、美術館に出かけ、普段の仕事で使う脳の使い方に「感性」という芸術感を取り入れ磨きをかけている。
「うつ症状」の施術
うつは病気のカテゴリーとしては精神、心理の問題になるが、
どこがどう崩れた時に発症するのか?解決策はあるのか?を綴ってみよう。
病院、医院に精神疾患で行けばもれなく薬をたらふく処方されてしまうかもしれない。
当院のような手技療法の施術でその症状を改善できるのか?そんな薬とおさらばしたいと思っている人も実は、Qtopia癒療院は施術可能だし、症例もある。
なぜ病院でもない施術院に改善出来てしまうか?
うつの場合、脳の特定の場所を正確に施術できれば改善できる。
私の場合は「脳出血の後遺症」があるため、正常の脳細胞と、まだ治りきっていない痛めた脳細胞との血流の差があることで、気分の落ち込む日もある。
そして、日によって心理のバランスが崩れる時がある。
その「うつ症状」に対して「脳の下垂体」を自分で自分を狙って施術をする。するとどうだろう?「気分の落ち込み」が段々解消してくるではないか?
うつ症状の出方も様々で、ずっと喋っている方もいれば、寡黙な方もいる。脳の血流の差で違うのかもしれない。
うつに対しての、より深い学習やセミナーもあるが、基本は下垂体を正確に施術できることで改善するのではないかと思う。
続コオロギパウダーとイナゴ
秋に入り夜になると夜風と虫の鳴き声が沁(し)みるようになってきた。
コオロギパウダーは、たんぱく質が豊富。オレイン酸、リノール酸など不飽和脂肪酸が豊富。
動脈硬化、高血圧、血栓、LDLコレステロールを降下する働きがあるとのこと。
夏が過ぎこの鳴き声や涼しさに趣を感じるが、人間が食品としていただくには少々抵抗もあるかもしれない。
コオロギパウダーは小腹が空いたときにいただくにはちょうどいい。もたれることもないし身体にはいい。
毒性も立証されてないことから過度の心配はなさそうだ。
昆虫食でもう一種気になるのが「イナゴ」
イナゴも栄養価がある。高たんぱくで低脂肪。ビタミンE、B2も豊富。エビとまちがえるほど香ばしいとの声もあるほど。
イナゴでたまに大量発生して困って・・・という話はあるが、私はまだその場面に遭遇したことはないので何もいえないが、農薬が使われてなければ捕まえてみたい気持ちはある。
「オエッ」と吐きそうな咳
Qtopia癒療院に来院される方は様々な症状をお持ちだが、咳の方も多数。
喘息気味の方、風邪の方、呼吸器系の方もいるが、今回遠隔で依頼があったのは、「オェッ」という咳があるとのこと。
オエッの場合は、何かしら吐きたくなるか横隔膜周辺での問題がある。
施術が必要な場所を特定するための筋力検査では肝臓がヒット。 肝臓の方形葉( 胆嚢の裏に当たる)。代謝した赤血球がうまく胆汁(ビリルビン)と一緒に流れてくれてなかったみたい。 それがうまく流れるために必要な咳だったようだ。 横隔膜と肝臓、胆管が正常になり、肝臓付近を押しても違和感がなければok。
咳と言ってもコンコンもあればゼイゼイもある。 「咳」という現象だけで=風邪にしない方がいい。
その咳がどこの何がどうおかしいのか?が判別できるかがポイント。
例えば医者に行っても薬だけもらって飲めばいい!という方は多いだろうが、薬を飲んでも一向に変わらない場合は、その判別方法(みたて)が出来ないところなのだろう。病院、接骨院は保険は効くだけあって基礎医学は知っているが、症状だけを解決しようとすると「とりあえず」になる。治まっているではなく抑えているだけになる。
もし根本から治して変わりたいのであれば、当院の出番になる。
喘息ぎみの方の咳で多いのは脳の視床下部を遠隔(近隔?)で施術すると見事に止まることが多い。その施術をしても変わりにくい場合、応用を効かせて施術をするので、ご依頼の方に必要な場所を特定して施術を積み上げていく。
軽症~後遺症の施術が難しい理由
皆さんの周りにもいるかと思う。病気や事故などにより、軽症や後遺症で何年も心配が尽きない方が。
骨格・筋肉・靭帯や内臓などは比較的難しくはない系統で回復しやすいのかと思われるが、脳細胞・神経細胞になると途端に難しくなる。特に脳細胞はとてもゆっくりでしか変わってくれない。
「まだ出るか?」というくらい後遺症が残る。だからこの「後遺症」という言葉なのだろう。
時間、期間が経過してもまだ残るの?まだ出るの?と「後に遺される症状」。
後遺症をよろしくない表現で言えば「後始末」なのだろう。でも「まだある」以上「良くなりたい。」私はそう感じているし、似たような境遇の方も同じ心境ではなかろうか。だから、ご家族であったり周囲の方々も、ご本人の話を親身になって聞いてあげて欲しい。
その後始末を術者側・患者側の双方の見方から見ると視点が変わる。
私自身若い頃に病院勤務で、交通事故の後遺症患者さんと保険会社さんとのやりとりを見聞きしたことがある。そこで「終わりにしたい」というような言葉を聞いたことがある。患者サイドから言えばいつまで続くのかという絶望に近い感覚もあるだろうし、疲労感も伝わってくる。良くなってきているのだが、気になる症状はまだ続いており、終わりが見えなくて不安が拭えない様子だった。
術者サイドから見ると実際に「良くなっている」からそう伝えても、ご本人の実感が伴わないとまた気分が落ち込んでしまうのは避けられない。でも、焦りは禁物。着実に進んでいるはずのなで、諦めずに前向きになれるといいと思う。そのような時には周りの方々の理解が得られると、ご本人も元気が出てくるはず。
後遺症施術の場合は特に、しっかりと正確に「診れる」「視れる」「見れる」能力が要求される。
この件で一番大事なことは 「聞いてあげること」なのではないかとと思っている。私もそのように心掛けている。
ちなみに私の場合は二度の脳出血で8年経つが会話・字を書く・計算・笑う・走るなどはまだできない。(調子が良い時も増えては来ているが)
8年前とは比べものにならないほどには回復できているとは思うのだが、脳細胞・神経細胞の変化の道のりはまだ長い気がしている。